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本をたくさん読みたい、けど自分は読むのが遅いし、時間もなかなか確保できない。

そんな悩みを持っていた私は、「速く読めれば、たくさん読める」と思い、いくつかの速読術の本を読み漁ってきました。

中でもその明快さや実践のしやすさで群を抜いていたのはこの本でした。

遅読家のための読書術(印南淳史)

「速く読めなくても、たくさん読めるんだ」と目からウロコでした。遅読家だった著者が年間700冊を読む多読家になれた秘訣、そのエッセンスが分かりやすく凝縮されています。

この本によれば、どうやら私の問題は、読む技術の不足ではなく、読むことに対する考え方にあるようでした。

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誰のための読書か?

dokusho

読書においては「読者」が主人公

スマホでネット記事を流し読みするときは、ずいぶん自分本位な勝手読みをして、頭の中で上から目線で辛辣に記事を批評したりしがちです。

ところが、これが紙媒体の書物になると、急に従順な学徒になってしまっていることに気づきます。その証拠に、大半のネット記事は「斜め読み」してしまうのに、書籍になると1ページどころか1行も読み飛ばさないように、ご丁寧に読み込んでしまうのです。

その結果、たった1冊の本を読むのに何日もかかってしまう。

ネットでは速読家なのに、書籍になると急に遅読家になってしまうのは、無意識のうちに心構えが切り替わってしまうからです。

お金がもったいない、元を取らねば、と思うのでしょうか。それとも、出版物という物には、いまだにそれだけの権威が残っているということなのでしょうか。

いずれにせよ、そうやってダラダラ時間をかけて読む方が、よっぽど時間がもったいないですね。ものすごく退屈でつまらないところなんて、飛ばしてしまえばいいんです。どうせそういう部分は、しんどい思いをして読み通しても、まったく身になっていませんから。

出版物だろうが、ネット記事だろうが、同じ一人の人間が書いた文章です。そして読者であるあなたも私も、一人の人間です。書き手が自分本位で書いたものであれば、読み手だって自分本位で読んでかまわないのです。

自分本位で読み進めて、引っかかったところだけを拾っていく。こういう読み方をすると、

自分という器の範囲内でしか読んでいない、だから読む前と読んだ後で自分の中に変革が起きない、つまらない読み方だ。

ということを言う人もいます。

でも、思うんです。どうあがいても、人間というものは、誰のどんな言葉も自分の器の範疇でしか取り込めないものじゃないのか、と。

それがたとえ、「自分本位」であろうと、「従順で共感的な、書き手に寄り添った」読み方であろうと。

小説を読んで、あるワンシーン、ワンセンテンスに引っかかる。共感と言う意味でも、反感と言う意味でも、理解不能という意味でも、そういうことってあります。大事なことは、それが理性的・論理的なものではなく、本能的・直感的なものだということです。

つまり、本能や直感が開かれた状態でなければ、「引っかからない」のです。そしてそれは、「自分本位」に読むことではじめて実現できる状態なのです。

かしこまって、丁寧に、丁寧に、と読み進めていくと、「丁寧に読む」ことが目的になってしまい、そちらに脳のリソースが食われてしまって、本能や直感に割ける分がなくなってしまいます。

これが「遅読家」の陥っている状態です。丁寧に時間をかけて読んだわりに、読後に残るものがない。それはひとえに、「自分本位でない」読み方をしてしまったが故に、本能や直感のスイッチを切った状態で通してしまったためです。

自分本位に本を読みましょう。それが、本能・直感という超高性能アンテナを働かせる、唯一のありようです。

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遅読家でも多読できるたった1つの考え方

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読書は「測量」よりも「宝探し」に似ている

何十冊、何百冊、何千冊と本を読んできて、そこに書かれてあったことを、どれくらい覚えているでしょうか。

私はほとんど覚えていません。

ただ、「あの本はすごかった」「あの本にはこんな感じのことが書かれてあって、当時はとても共感できた」とか、非常に漠然とした印象だけが残っています。

そして、具体的に一文でもいいから印象に残ったものを思い出せ、と言われても、ほとんどの場合、まったく思い出せません。

でも、たとえ一文も出てこなくても、確かにその読書体験は自分の身になっている、間違いなくそれは自分の思想や人生観や価値観などに本質的な影響を与えている、そう強く確信できることが大事なのです。

その強い確信をもたらしたもの、それこそがその書物を読むことを通じて見出した「宝」です。読書はまさに書物という宝島のどこかに眠っている、自分だけの「宝」を見つけ出す冒険なのです。

宝島のどこにでも宝はあるわけではありません。だから隅から隅まで、それこそ測量のようにくまなく探し回っても、労多くして得るものはありません。

もっと手っ取り早くお宝に出会う方法、それが「地図」を使ってアタリをつけることです。

書物において「地図」にあたるのは、目次や見出し、そして序文です。ざっと全体を見渡せて、「この宝島(書物)にはこんな宝がある。そしてそれが眠っている場所はこのページの辺りかな」という見当を事前につけることができます。

もちろんその地図にも読み方のコツのようなものがあります。いずれにしても、地図の時点で自分にとってのお宝がありそうになければ最初から挑まなければよいのです。

実りある多読のためには、不要な本は最初から読まない、ということが重要です。もちろん、書かれてある文章を何でもかんでも記憶する必要はまったくありません。

たった1つでもお宝が見つかれば、それだけで十分と言えます。

そう考えると、読書がとてもラクになります。

くまなく読まなくてもいいんです。どこかにお宝は眠っていないか、そんなハンターのような攻めの姿勢で、お宝でも何でもない文章なんてバンバン飛ばして読んでいきましょう。

まとめ

書物は宝島、読書は宝探し、宝とは自分にとって価値のある何かが書かれてある一文。

そしてその一文を探し当てるために必要なことは、「自分本位」に読み進めること。

その読み方、その見つけた「お宝」を確実に自分のものとして内面化するためのテクニック、そしてそれを通じて自分自身を見出していく作業、そういったノウハウが非常に具体的に書かれてあり、かなり実践的で「使える」書物です。

よしず後記

よしず

いちばんの収穫は、一冊の本からたったの一文でも見いだせれば、それで十分だと確信できたことです。本を読むのがずいぶん楽になりました。